やっぱ気を抜くと罪悪感でゲロ吐きそうになる。

最近本気で、このままいけば躁鬱で精神より先に身体を壊して仕事やめる運命だろうなと信じながら暮らしていて、そうなったときにどうしようか毎日想像してる。いざとなったら親に頼れると思ってる人ってどれくらいいるんでしょうか。自分の場合、まずは親には貯金あるふりをして生活保護を選んで税金で暮らす。その方が断然気が楽だし、そうなりたいから。資本主義ってレバレッジかけて金儲ける社会だけど、自分は完全にその子供みたいなもので、最悪だと思う。幸福感と社会システムが一致していればいいけど、自分の場合一致してる感じがしないので、どちらかが変わらない限り一生罪悪感がつきまとう。社会に寄生しながら社会から脱するか、社会を無視した人になるか、社会を変える人にならない限り罪悪感消えない。どれも難しくてゲロ吐きそうになる。前者は仏教的出家で、後者2つは何かを本気で信じて生活することであり、これは佐々木閑のいう出家的生活だと思う。去年仏教を勉強してみて、タイの寺に出家することは信じるものが見えてない自分にかなり向いているなと思った。けど後者の方が本当はポジティブだし、出家は完全な環境依存なので40歳からでも充分できる。バンドやってる友達とこないだ話して、彼は後者の人だなと思った。後者は親の金を使い切ってでも目的を実現しようとするはず。自分においては後者のイメージがまだゆるいため、正気を失いながら働いたりして自分を壊してみるしかないと思って暮らしてる部分がある。別のやり方が必要かもしれないが、どうすればいいかわからない。法律遵守意識がないのは多分、自分は捕まりたいと思ってるからだと思う。ただそんなやり方はとるべきじゃなく、単に傷付くことが足りてないだけだとも思う。

 

自分にとっての死にたさとは、前のブログで書いたことだけじゃなく、この罪悪感と混乱のことでもあるなと思った。音楽聴きたい