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國分功一郎さんへ

 

取り攫われて動物的になることで生きていく/そのために受け取れるようになるというのは分かるのですが、取り攫われに対して貪欲になろうと思った時点でそれはそれで奴隷的なのではないでしょうか。でも、奴隷的=盲目的だとすると、新しい環世界の発生に対して貪欲であっても盲目的になれることはないので奴隷的ではないのか。「ここではないどこか」的な価値観への信奉と「取り攫われ」の捉え方には違いがありますよね。そこが肝なのでしょうか。

また、取り攫われた後の行動指針としては、責任(稲葉浩志のいうミエナイチカラを信じて運命の呼びかけに応じる)を挙げてると解釈しましたが、呼びかけが多すぎる/多種多様すぎる(多すぎると誤認する)場合に、時間的にキャパオーバーしていると認識してしまい、「何もしない」を選んでしまう=盲目と似た結果に終わってしまう、問題があると思います。この結果、「何もしない」応答を選んできたことによる後悔の念のようなものが爆発していずれ発狂し、盲目的な決断を下してしまう気がします。それも良いかもしれませんが、時間の捉え方とあわせて考えていく必要があるのでしょうか。動物にとっての時間感覚みたいなことを学べばヒントになりますでしょうか。場所感覚で言うと、何かを受け取り別の環世界に取り攫われるが、その環世界たちを包む大きな環世界が実は土台として常に動かず存在している、というイメージを持つことが必要な気がします。リモートワークでも仕事ができる人とできない人がいると思います。私はリモートワークだと無限にサボってしまい働けない人間なのですが、ここにも似たヒントがありますでしょうか