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たけしの映画に出てくる女性は多くが無能であったり庇護の対象であったりするけど、映画全体に通ずるテーマを表現するための材料としてそのような登場の仕方をしてるだけであるという点で男性と差がないから、いまの自分の価値観で観ても良いもので居続けられるのだと思った。

ジョンキャロルカービーのアー写がすごく良くてセブンで印刷して部屋に貼った。ググったら同じ服を着た色んなアー写が出てきて、一層好きになった。ジョンキャロルカービーのその写真は背景の花の絵、服のサイズ感と色、顔つき、目つきがよかった。特に、いかにもアメリカの白人(ちょっと田舎っぽい、テキサスっぽい感じ?)って感じの顔つきを堂々としてるところがかっこいいと思った。いまは、特に音楽業界なんて、白人らしい白人てダサいとされてしまいかねないだろうに、そんなこと分かってるけど音楽に関係ないからみたいな顔つき、目つきがよかった。worntinにも似たようなことを思う。worntinの場合はもっと、あざとくないピュアさとも言えるかも。worntinがピアノでサムシングイズカミングを歌う動画本当にかっこいい。でもworntinって名前は少しあざといか

あざとい人も好きだけどあざとくない本気の人も好きだ。本気だしあざとい人が一番好きかも。本気じゃなくてあざとくもない人は好きじゃないです。本気になれないならせめてあざとくなった方が良いのではないでしょうか。でもやっぱあざといだけの人はいらいらするかも、あざとさにも色んな種類があるからか。

「本気の本気」と「本気じゃない本気」と「本気のあざとさ」と「本気じゃないあざとさ」があるのか。「本気の本気」と「本気のあざとさ」が、人に何かを伝えるためには必要なんでしょうか

前髪は下ろさない方がかっこいいオールバックにしたい、でもかわいい自分のことを好きな自分もいる

怨念を高めたい恨みつらみで人を殺したい

松屋で麻婆豆腐頼んだらレンジであっためた餌が出てきた。最近の松屋って餌を食べる感じを求めて行くものだから良いんだけどご飯残した。ご飯残すのにハマってる、大切にしたくないからそんなこと。お母さんに怒られるけど